今は亡き巨匠や伝説のアーティストの続作をAIで作るってどうなのよ?


昨日には、手塚治虫の名作「ブラックジャック」の続編を、今日には元ビートルズのポール・マッカートニーが、ジョン・レノンが残した未完の楽曲を、それぞれAIを駆使して完成させようとしているニュースを見た。

 

前者は、手塚治虫の画風をAIに学習させて、「ブラックジャック」の全くの新作を生み出し、後者は、デモテープの雑音が酷いため世に出せなかった「ナウ・アンド・ゼン」と呼ばれる未発表の曲を、AIにより雑音を取り除き発表するらしい。

 

一見すると、素晴らしい取り組みにも見えるこれらの試みだが、これらはコアなファンにとって垂涎の続作になるのだろうか?

 

個人的には、ジョン・レノンの最後の楽曲を世に出すパターンは、何となく許容できる気がする。

 

最近は、よりクリアな音にされたデジタルリマスター版が発売されることは良くあることだし、今回の話はあくまで未発表の曲「ナウ・アンド・ゼン」を世に送り出すためだけなのようだから。

 

これが、ジョン・レノンとジョージ・ハリスンのパートをAIが担当し、新たな楽曲を生み出し続けると言いうなら話は別だ。

 

そこには商売の匂いしかせず、アーティストに対する冒涜しか感じられないからだ。

 

新作「ブラックジャック」も同様だ。

 

あくまで、1作だけの実験的な試みで行うなら許容できるが、AIを駆使して新作を生み出し続けようと言うなら、やはり手塚治虫への冒涜としか思えない。

 

AIが作った「それっぽいもの」を、あたかも手塚治虫の作のようにして商売しようとするなら、手塚治虫本人が望んだことではないので自分は許容できない。

 

今回の取り組みは、研究成果の発表と言う位置付けらしいから、こちらも許せるんだけどね。

 

本来の作者以外が名作を受け継ぐっていうことは結構難しいと思うな。

 

そこには、元の作者の魂みたいなものがしっかり引き継がれている、そんな気にさせてくれなければ、ファンはついてこないと思うのだよ。

 

魂の引き継ぎも無く、商売っ気だけが見えすぎると、明らかに興冷めするんだよね。

 

その意味で、あくまで今回限りの試みっていうならば、ファンはある程度許す可能性があると思っている。

 

名作を他人が引き継ぐ事態ってことで思い起こすのは、漫画「ベルセルク」もそうだったな。

 

作者の三浦建太郎亡き後、その続編がAIで作られるとなったら、同じ思いをしただろう。

 

実際は、作者の三浦建太郎亡き後、その作風を熟知した別の漫画家と、三浦建太郎のアシスタント達がその遺志を継ぎ、連載が継続された。

 

だれもが「その結末を見たい」と思っていたし、後に世に出た続編を見る限り、そこには三浦建太郎の存在を感じられるものだったから、その対応が肯定的にとらえられたのだと思う。

 

AIと使えば、いかにも「それっぽいもの」を生成できるのだろうが、人が魂を削りながら世に生み出した名作の続編となると話は別だろう。

 

「それっぽいもの」では名作を継ぐことは出来ない。

 

あくまで「試み」としての続作に留めるべきだと思っているのです。

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